食を彩るテーブルセッティング

◆食の贅◆

 テーブルセッティングとは食事に必要な皿やグラス、カトラリーなどをあらかじめ一定の形でテーブルにセットすることである。何もむつかしいことはない。ただ、食の場を少しだけ意識して楽しむことなのである。
 あるがままの自然に生かされるのではなく、人が自身で生きようと思った時から、文明が生まれ、文化が育ち、そして、贅沢という快楽と苦悩を知った。
 この贅沢の中でも、一番贅沢なのが食の世界なのだろう。なぜなら食は残らない。華美なしつらえもファッションも宝飾も住まいも、それは形として残るけれど、どんな豪華な食を用意しても、食べてしまえば跡形もない。だからこそ、人はひと時の食により惹かれ、そしてその食を彩るものたちに贅をつくしたのだろう。
 食という贅沢は、ただ単に人間の身体のうちの舌から食道に至るまでのたった5センチほどの快感を得るためだけに費やされる。そのたった5センチのために、人は戦いを起こし、侵略し、征服を繰り返してきたことを考えると、人の欲求というもののすさまじさをまざまざと思い知る。

◆テーブルセッティングのルーツ◆

 かつて紀元前5世紀頃、エーゲ海沿岸で花を咲かせたギリシャ文明。その頃にはエーゲ海の海産物はもちろん、ソーセージのように加工した肉類だって食べていた。ガリア地方(フランス)から輸入されたチーズを片手に、貴族たちはエジプト伝来のワインで、かたや庶民はビールで酔っ払っていた。そしてもうこの頃テーブルには、スプーンや水がめや皿、グラスが鎮座していたのである。
 やがて紀元前3世紀になると、隆盛をきわめるローマが台頭してくる。イタリア半島を征服したと思いきや、またたくまに北はブリテン島、南はアフリカ中部あたりまで手中にし、繁栄をきわめたローマ帝国。この帝国の食生活は、ギリシャから受け継がれ、本格的に料理という形式が生まれ、食卓は贅沢の限りをつくすようになった。パン、ワイン、オリーブ油、果実に肉。その肉は当初自然に群れ飛ぶ鳥だったが、そのうちブタやウシなどを食べるようになるとその家畜化が始まった。香辛料はインドから大金をかけてシルクロードを渡ってくる。
 この頃の貴族は、あまりに食の楽しみを欲するあまり、満杯になった胃袋を空にするために吐き、また満杯になると吐くという習慣すらあった。たまりかねた皇帝コンスタンチヌス大帝が美食禁止令を出したほどである。
 テーブルの上にはギリシャ時代にお馴染みになっていた食器だけでなく、コンポートや蓋付きの物入れなど様々な形の器類が登場する。特にガラス製のグラスなどのつくり方はほとんど現代と同じで、型ガラスあり、吹きガラスあり、そして型吹きのガラスも日常の中に取り入れられていたのである。
 ポンペイの遺跡がそれを如実に物語る。ヴェスヴィオス火山が大噴火をおこし、ポンペイの町が一瞬にして灰になったのが紀元79年のこと、ちょうどローマが栄華を極めていた最中である。それを18世紀の初頭に発見し掘り返された時、ぞくぞくと出てきたのが、ほとんど今の形と同じ食器の類だった。気の遠くなるような時間を灰の中で眠り続けた文明は、現代の我々に、「人類なんてそう進歩していないさ」と教えてくれる。
 そんな豪勢な伝統を受け継いだイタリア料理が質素になろうはずもない。
 ローマ帝国が東西に分裂し、一時は衰退したイタリアだが、やがてルネッサンスの時代が訪れる。このころ主食がパンだったイタリア料理にパスタが追加された。マルコポーロが中国を旅して持ち帰ったという説もあり、時代的にはぴったりで面白い結び付けだが、しかし、すでにパスタは存在していたという説の方が有力である。そしてこのパスタの登場で、カトラリーにフォークが仲間入りしたのである。

◆イタリアからフランスへ◆

 ともかくルネッサンスである。人間復興、古代賛美、もちろん豪勢な食の伝統が頭をもたげるのも当然ある。ここで力を持つのが庶民から成り上がったメディチ家である。そのフィレンツェの名門財閥のロレンツォ・デ・メディチの娘が勝気な少女カトリーヌ・ド・メディシス。当時絶大な権力を誇っていたローマ教皇クレメンス7世が仲介した政略結婚で14歳の彼女が嫁いだ先は、フランス王アンリ2世のもとである。当時のフランスといえば、ただ大皿にどんと料理を入れるだけ、スプーンはわずかにあったものの、ほとんど手づかみで食べていた。
 贅沢三昧に育った娘がこんな野蛮な食生活に耐えられるはずもなく、彼女は1000人ともいわれる次女や錬金術師や占星術師、香料師などのお供の中に、お抱えの料理番・お菓子職人・パン職人などを加えたのである。そして彼女は、豆やアイスクリームなどイタリアのおいしい食べ物や、肉の焼き方などの献立をフランスに持ち込んだのである。
 しかし、「それにしても」とあきれたのが、お抱えの料理番である。彼は、フランス人のあまりにひどい食事マナーに閉口し、料理の作法を簡単な書物にしたのである。それが後々のテーブルマナーの基礎になっていった。
 ちなみに、カトリーヌがフランスに嫁ぎ、西洋のテーブルマナーの基礎が始まったといわれるのが1533年のことである。日本はちょうど戦国の世、鉄砲伝来が10年後の1543年、織田信長が桶狭間で勝どきを上げたのが1568年。後を継いだ豊臣秀吉が全国統一を成し遂げたのは1590年。秀吉といえば出てくるのが千利休である。日本の伝統的なテーブルマナー、テーブルセッティングといえば懐石、会席で、その基礎は千利休が築いた茶道である。長い歴史の中、西と東でほとんど同じ時期に新しい食の形が確立されたことは、歴史の不思議な因縁のようなものを感じてしまう。

◆テーブルセッティングの確立◆

 さて、カトリーヌが権謀術数を駆使した血なまぐさい宗教戦争の時代を過ぎ、ルイ13世の治世下になると、本格的にフランス式のマナーが上流社会に普及する。客をもてなす法や、テーブルマナー、招待客の席順や、スプーンとフォークの使用方法、テーブルウェアの選択、礼儀作法など、新しいテーブルのしつらえ、つまりテーブルセッティングが確立されてきたのである。
 そして太陽王ルイ14世の統治からフランス革命までの時代になると、あらゆるものがヴェルサイユ宮殿に集りテーブルの上もより華やかになってきた。ヴェルサイユといえば、かのマリー・アントワネットで、その実家は婚姻関係で世界征服を目指したハプスブルグ家である。このハプスブルグ家により、フランス式マナーはロシア、ドイツ、スペインなどの宮廷に広がった。
 ちょうどこの頃、これらの宮廷のテーブルに一大変革がおこるのである。それが陶磁器の普及である。日本をはじめ、東洋から輸入されるすばらしい陶磁器に魅せられたザクゼンの王アウグストが錬金術師ベトガーに命じて陶磁器を完成させたのが18世紀の初め、それがマイセンとなり、18世紀も半ばになるとヨーロッパ中のあちこちで陶磁器がつくられはじめるのである。テーブルの上はますます色彩豊かになってゆく。この頃の宮廷や貴族の陶磁器発注といえば、ダース単位の注文である。それがまた半端な数ではない。ディナー皿やスープカップ、コーヒーカップや様々な皿類の他に、1ダースにキャセロールやチュリーンなどがついて、ワンセット。これが12の倍数で同じデザインで増えていくのである。だから、1人の発注者の納品に陶磁器工房は何年もの歳月を費やし、その数たるや有に1000を超えたりする。そして、その発注方法は陶磁器だけにとどまらず、例えばカトラリーなどの銀器、グラス類なども同じだったのである。
 やがて、フランス革命をへて、ナポレオンの世界制覇の野望も泡と消え、宮廷から追われた料理人たちは街角でレストランを開き、この食のあり方が庶民の間にも広がっていったのである。
 
◆テーブルセッティングのハウツー◆

 そのテーブルセッティング。冒頭で書いたように、何もむつかしく考える必要はない。基本は食べやすく、機能的である。難解そうな茶道が、実はシンプルで所作が全て道理にかなった合理性を持っているのと同じことである。
 ともかく中心に大きなサーブスプレート、つまり位置皿を置いて、他のすべてのものが料理の出る順番にセッティングされているだけだと思えばいい。
 それではカトラリーから。食べる順に外側から考えると、まず前菜が出るからオードブル用のナイフとフォークを右と左に、次にスープで、スプーンしか使わないから右にひとつ、その次は魚のメイン料理だから魚用のナイフとフォークを右と左。そして今度は肉のメイン料理だから肉用のナイフとフォークを右と左。魚と肉のナイフフォークを見分けるには、魚は肉より柔らかいから小さくてエッジがきいていなくて、骨があるから先がちょっと変形している方。肉は切りにくいから鋭利だけれど、それだけに危なっかしいから先は丸まっている。
 他のカトラリーといえばまずバターナイフは左に置いたパン皿の上。デザート用は、メインが終わった後だからサービスプレートを挟んで上の方に、右手で持つナイフは柄が右でフォークは左。スプーンを使う場合は、デザートに使うなら一番上で、コーヒースプーンなら最後に使うから一番手前。スプーンはいつも右手使いで柄を右に。
 グラスは右の上で右端から。シャンパンを一番に飲むなら一番に、ワイングラスは魚、肉の順番どおり白、赤ときて、最後は水用グラスでしめくくる。
 ナプキンはきれいにたたんで皿の上、テーブルクロスはフォーマルにするなら下までたらし、カジュアルならテーブルの脚が見える丈。もしくはイギリス式にランチョンマットを敷いてもいい。加えてセンターピースに適度な大きさの花を置くか、キャンドルスタンドで雰囲気を出すか。

◆テーブルセッティングは日常に◆

 いろんなスタイルがあるから、何をどうしなければいけないという決まりに縛られる必要はない。考えてみれば、かつて王侯貴族達は、それでなくてはならないかのようにひとつのデザインで大量に注文し、それはそれで統一がとれていただろうけれど、今を生きる私達は、すばらしいアンティークとなったそれらの中から気に入ったデザインだけをいくつも選んで好きなように使えるのである。それはとても贅沢で素敵なことである。
 戦争という悲惨な出来事が終わり、10〜20年位たった頃、西洋というものが洪水のように日本に入ってきた。それは文明開化とはまったく違う、庶民レベルの西洋の流入。
 私たちがまだ子供だった頃、戦争を経験した母たちは、覚えたてのハンバーグやカツレツといった西洋の料理をいそいそとつくり、ちゃぶ台の上にナイフとフォークを並べ、やはり覚えたての知識で、私たちの小さな手にその使い方を教えてくれた。あれが多分、庶民に浸透したテーブルセッティングのはじまりだろう。
 遥かなる歳月を経て今、西と東で生まれた食の文化を折衷して、自由な選択肢で贅沢を味わい、おもしろがれる私たちはなんて幸せなのだろう。

(アンティークモール銀座代表・アンティークアカデミー校長 中村みゆき)

  Last Update : 2004/05/14